榕城校区
西之表市の中で最も面積が大きく、全人口の約半分が暮らしている。また、島の出入口、西之表港があり、国・県の出先機関の多くが集中しているため、種子島の物流・経済・行政の中心となっている。
主な商業施設や病院もほとんどが立地していて生活するには便利な一方、種子島島主・種子島家の居城だった「赤尾木城跡」があった地域でもあり、日本最南端の士族である種子島家の城下町として栄えた。現在は跡地に小学校が建っており、校庭にあるアコウの大木は居城時代のものである。鉄砲伝来や種子島家の足跡が残っている。
上西校区
上西校区は西之表中心部より車で10分程北に上がったところに位置する。中心市街地に近いため、買い物にも困ることはないが、人口分布が広範囲にわたるため、便利な田舎暮らしが体感できる。
上西校区内にある横山集落では、鹿児島県の無形民族文化財「横山盆踊り」が、大崎集落では古くより製塩業が行われており、毎年、1月2日にり大崎塩屋神社で「塩屋祭り」が行われている。
下西校区
西之表市全12校区で2番目に人口の多い校区である。主要道路沿いには多くの大型店舗が出店してきている。夏には校区主催の夏祭りも開催されており、スポーツも盛んで活気のある校区となっている。
国上校区
国上校区は、種子島の最北端に位置し、「日本の水浴上88選」にも選ばれた島随一の透明度を誇る浦田海水浴場や大隅半島を望む喜志鹿崎灯台、ヘゴの自生群落など北部観光の拠点となる観光地が点在する地域である。
また、甑島や桜島などからの移民を受け入れてきた歴史があり、集落ごとに様々な伝統文化などが残っている。
伊関校区
明治時代に大蔵省より製造許可を受けて番号を今もなお引き継ぎ、さとうきびの植え付けから収穫、製糖までの工程をすべて手作業で行われている黒糖が存在する。
明治18年(1885)9月には、種子島の南東沖で難破したアメリカ商船カシミア号の乗組員のうち5名が伊関の海岸に漂着し、村人が救助、手厚く介抱した過去もある。
安納校区
種子島の東海岸に面し、市街地へ車で約15分と買物にも便利な位置にある安納校区は、安納芋を代表する農作物や畜産が盛んな地域。伝統芸能の棒踊りや破魔祈祷祭などの行事もたくさんある。
現和校区
現和校区は、市街地より東に8㎞のところにある広大な耕作地に恵まれた地域。校区の中心には、大きな水田地帯を持ち、周りのほとんどが圃場整備がなされ、市内でも有数のの農業生産量地域である。
安城校区
太平洋に面した安城校区にはサーフィンスポットである鉄浜海岸があり、多くのサーファーが良質な太平洋の波を求めやってくる。
また、その太平洋の潮の流れを活かした安城小学校の「漂流びん流し」は約半世紀の歴史を持ち、国内はもちろん、台湾、ハワイ、カナダ・シンガポールなどの海外からの返事来ている。
立山校区
立山校区は与論島、馬毛島、甑島などからの移住者が開拓した地域で、独自の文化が各集落に残されている。
縄文時代からの遺跡群に始まり、武家文化、アメリカ商船救援などの歴史的舞台となった一方、現在では、ロケットの追跡をする野木レーダーや、犬城海岸などのサーフポイントまで、若者が楽しむことができるスポットがある。
中割校区
中割校区は、種子島の空の玄関口・種子島空港に近接した場所にあり、大正3年の桜島大爆発時に罹災した人々が開拓した地域である。
この地域にあるヤクタネゴヨウマツは、その名の通り種子島と屋久島のみに自生する希少な樹木で、市の指定名木に指定されている。
古田校区
海に囲まれた種子島では珍しく、海に面さない地域であり、西之表市と中種子町を結ぶ中山道のど真ん中に位置している。
20数戸の古有民子孫を基盤に明治末期ごろからの移住者等の子孫により、現在200世帯400名ほどが生活している。
開拓者を温かく迎え入れ、結の精神旺盛な、やまあいの地区である。
住吉校区
住吉小学校にある記念碑には、「眺めよし 人も亦よし 住吉の 学びの庭も 栄えゆくらん」と先代県知事が詠んだ歌が刻まれている。小学校のグランド脇にある展望台(秋の夕暮れ時)では、「住吉港の先に広がる海、そして、屋久島の脇に沈む眩しい夕日」の絶景を望むことができる。